とりあえずかいてみよう

読書とか映画とか音楽のことを書きます。書かない日もあります。でも書こうと思ってます。

クセのある一人称を受け入れられるかどうか ブラッドフォード・モロー『古書贋作師』

古書贋作師 (創元推理文庫)

古書贋作師 (創元推理文庫)

 

語り手である「わたし」は、かつては稀覯書の贋作師として知られていたが、今は足を洗っていた。ある日、恋人ミーガンの兄でやはり贋作師のアダムが自宅で両手首を切断された状態で発見された。アダムの死後、「わたし」のもとに文豪の筆跡で脅迫状が届きはじめ……。
設定はなかなか魅惑的なのだが、正統派のミステリでは決してない。饒舌な語りの奔流は「わたし」の俗物性をさらけ出す。これを受け入れられない人も多かろう。解説で三橋暁氏が指摘するように、ミステリの手法や様式を用いつつ人のエゴを暴く一般文芸作品と認識しておきたい。
もちろんミステリとして読んでも、その体裁は整っているのだが、はっきり言うとサスペンス性が皆無で全くハラハラドキドキできないのだ。じゃあ退屈な小説なのかというとそういうわけでもない。語り手の天然ぶりがハマってしまった人は、彼のたどる顛末が気になってニヤニヤしながら読み続けてしまうことだろう。私はそうでした。
結末は、深読みしようとすればいくらでも可能で、ネタバレありでいろいろ語りあいたいタイプの小説。それこそ読書会の課題図書向きかもしれない。
随所にあふれ出る文芸ネタや古書ネタは、ペダンティズムの域を出ていないが、これは意図されたものだろう。饒舌な語りの空虚さを浮き彫りにしている。一方で語り手は重度のシャーロッキアンとして設定されており、そこの熱量はかなりのもの。これも語り手のキャラを上手く表現していると言えるだろうか。
最後に、作者自身がかのオットー・ペンズラーに見出されたという経歴の持ち主であることも付け加えておこう。こう聞くと読んでみたくなる人もいるはずだ。