とりあえずかいてみよう

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いよいよラストのベートーヴェン特集 隔週刊クラシックプレミアム 24

特集は5回目(これがラスト)となるベートーヴェンで、最後を飾るのはアバド指揮、ベルリンフィル演奏による「第9」であります。大多数の日本人にとって「ザ・交響曲」かのようなイメージのこの音楽が、完成当時は合唱部分に戸惑いと批判があったこと、それをワーグナーが払拭したこと、ベートーヴェンが伝えたかったこと、日本人が特に第9を受け入れたこと。多くの発見があり、それを知ってアバドの指揮するこの曲を改めて聴くと、感慨もまたひとしおだ。何度も聴いたはずの第9が、とても新鮮で実験的なものに聴こえてくる。
岡田暁生さんが連載コラムで前号から引き続き語る「名演とは何か」は、その特徴を「神の教えはこうなのだ」と言い切る力にあり、カリスマ指揮者・演奏家と呼ばれる人たちと宗教家・独裁者の類似点を示す。そして現代ではこうしたカリスマの存在が激減したことを、「クラシック音楽」と「世界」との距離にあるとする。カラヤンバーンスタインホロヴィッツなどのカリスマにとって、ドビュッシードヴォルザークチャイコフスキーのような作曲家は、いやベートーヴェンモーツァルトですらも、自分たちの世界と地続きであり同じ空気を感じていた。
だからこそ彼らは「こうやって聴かせた方がもっといい」と自信をもって断言することができ、結果として「名演」が生まれたのだという。とすれば、現代の人間が生きている時代に名演は生まれないのかというと、そんなことは無いと信じているけれど。