とりあえずかいてみよう

読書とか映画とか音楽のことを書きます。書かない日もあります。でも書こうと思ってます。

「読者」と「小説」の距離感を問う本 『シャーロック・ホームズの誤謬 『バスカヴィル家の犬』再考』

シャーロック・ホームズの誤謬 (『バスカヴィル家の犬』再考) (キイ・ライブラリー)

シャーロック・ホームズの誤謬 (『バスカヴィル家の犬』再考) (キイ・ライブラリー)

 

訳者解説で指摘されている通り、この本の特徴は「ホームズが虚構の人物であることを前提にしつつ、テキストの読み方を問い直す」ことにある。

著者が自ら 「推理批評」と命名した読解法は、作者や作中の登場人物よりも厳密たらんとし、より知的に満足のいく解決を練り上げようとする試みだ。これに従って著者は 冷徹にホームズの推理のミスを暴き、作者ドイルの心情に踏み込み、さらにテキストから隠蔽された「真犯人」を浮かび上がらせる。

実際のところ、この犯人は従来のシャー ロッキアン的読解でも既に指摘されているはずのもので、その指摘には何ら新味がない。

しかし著者はさらに飛躍して、その先にある「真実」を提示する。この本の真骨頂はここにある。とはいえ、ひとりのシャーロッキアンに過ぎない私としては、バイヤールの読みを他の読みと比較して特別視するつもりはなく、すべて等価だと認識するけれど。

結局、この本で最も問われているのは、フィクションとしての小説に対する読み手それぞれの距離感なのだと思われる。バイヤールの読みにどう反応するかで、 それが浮き彫りにされるというところか。そう考えると、ホームズやドイルに対して以上に、読者に批評眼を向けられた本であると言えるかもしれない。