とりあえずかいてみよう

読書とか映画とか音楽のことを書きます。書かない日もあります。でも書こうと思ってます。

凄絶な生き様の先にある感動 「坂の上の雲 子規、逝く」

ドラマ『坂の上の雲』第7話「子規、逝く」再視聴。香川照之すげえ。その一言に尽きる回。ガリガリに痩せてますがな。このために15キロ減量したそうですね。しかしまあ、子規の死に際を、感動的であることよりもまず凄絶に描いたこのドラマ。原作ではサラッと書き流されているこの辺りを、オリジナルで肉付けしてこのクオリティに高めたNHKは本当にエライ。

真之が病床の子規を訪ねたシーンで、子規は真之に問う。

「軍人が戦場で散らす命と、こんな狭い病床で散っていく命は、どう違うんじゃろうな」

「ちいとも違わんじゃろう」

「違わんか。どっちもちっぽけな命じゃからのう」

「どっちも掛けがえのない命じゃ」

このやり取りだけで泣けるんですけどね。この後、子規は「このままでは死にきれんぞな。あしの目指しとる俳句詠み、正岡子規はこんなもんではないんじゃ」と赤裸々に語り、「痛うて痛うて畳にのたうち回っても、あしは俳句を詠む。まだまだええ句が浮かんで来よるんじゃ」と真之に宣言する。

でもここで、菅野美穂演じる律がそれを複雑そうに聞いてるんですよね。んで、あとで律と真之が二人っきりになった時、律は「兄さん、もう死んでもええよ。うち、時々、心の中でそう呟くんじゃ」「じゃが、兄さんはどんなに苦しくても生きようとするんじゃ」と辛そうに告白する。子規の執念も、律の心情も、どっちもリアルなんだよなあ。

子規と律の辛さが十分すぎるほど視聴者に伝わったところで、とうとう最期が訪れる。律や母、弟子の虚子らに見送られることもなく、子規は月のきれいな夜に、一人でそっと旅立つ。それに気づいた律は「兄さん、兄さん、誰がいじめとるん? 兄さんをいじめる奴はうちが許さんけん」と、幼少時代のセリフそのまま泣き崩れ、バックにテーマ曲 Stand Alone が流れる。

泣くわ。マジ泣きしますわ。やっぱりこのドラマは日本の宝ですよ。というわけでタイトル通り、子規の最期が最大の見せ場であるこの回だったわけですけど、他にも見どころはいくつか。まず、海軍大学校の初代教官に抜釘された真之が若手将校に模型演習で黄海海戦を行わせた場面。

「君らは戦史を読み、その結果だけで判断しとらんかったか? それでは単なる批評にすぎない! 飯田君。この艦には何名が乗員しておる」
「吉野1隻で乗員385名。そのことをしっかり考えましたか? 実に我々指揮官が乗員全員の命を預かっておる。すなわち我々が判断をひとつ間違えれば、無益に多くの血が流れる。実戦ともなれば、身を切るような判断を次々と迫られる。苦闘の連続です。無識の指揮官は殺人犯なり」

真之のこのセリフが、あまりにも深い。

それから、真之の元教官で今は教え子の八代大佐の計らいで、後に妻となる稲生季子と真之の出会いが描かれますが、まあ演じている石原さとみが凛として美しい。帰宅後、母と兄嫁に「早く嫁をもらいなさい」と迫られる真之の姿もユーモラスでした。まあ、この後で真之と律と季子の三角関係っぽいもの(というか律の一方的な悲恋)が描かれる演出は、あんまり頂けないんですが……。

中国大陸では好古が袁世凱と会って意気投合しますが、この袁世凱役の俳優が本人の写真にそっくりで笑った。ニコライ2世といいこれと言い、よくこだわってるもんだ。終盤では、内務大臣・児玉源太郎が田舎に隠棲している乃木希典を訪ねる場面も見ごたえあり。児玉と乃木のわきに並んで座ってる乃木の二人の子どもは、この後で……。さらに村の古老が徴収された若い村人二人を連れて児玉に挨拶に来るシーンとか、時代を感じさせます。ナレーションでも語られていますが、とにかく当時の日本は圧倒的に貧しかった。乃木が児玉に「臥薪嘗胆ももう限界じゃ」と言ったことに、すべてが込められております。

次回は、ついに「日露開戦」。第7話ラストでも、開戦に慎重な政府・軍部を新聞と国民が批判しているシーンが描かれていますが、この開戦という決断がどれほど重いものであったのか、再び伊藤をはじめ明治の元老たちが出演して、それを知らせてくれるでしょう。