とりあえずかいてみよう

読書とか映画とか音楽のことを書きます。書かない日もあります。でも書こうと思ってます。

『コードネーム・ヴェリティ』

コードネーム・ヴェリティ (創元推理文庫)

コードネーム・ヴェリティ (創元推理文庫)

 

予備知識をあまり得ないうちに読んだ方がいいタイプの小説である。しかしこのご時世、なかなかそうした読み方は難しいのも事実。その意味で帯の文句は、さすが老舗の東京創元社、といった煽り方だ。これを過剰だと感じる人もいれば、端的な事実と受け止める人もいるだろう。それは、物語に凝らされた技巧性と、その先にある濃密な人間ドラマのバランスが悪いことに起因するかもしれない。いや、これ以上は語り過ぎだろう。この作品から何を読み取り、何を感じるか。それは個々の読者に与えられた特権なのだから。

ちなみに自分はある方から「これは百合だからオススメですよ」と言われたのだが、それは非常に効果的なオススメだったと、読み終わった後に改めて感じた。

 

『蜜蜂と遠雷』

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

音楽を体験する「感動」と、音楽を体現する「天才」を、言葉の力で描き切った、圧巻の超大作。この世界からは、醜いものは可能な限り排除されている。

その人工性は、単なる絵空事ではなく、小説が持つ特権である。自然に溢れる音の再現として音楽が紡ぎ出され、名曲が人をその世界の深奥に誘うとすれば、その深奥の再現として言葉は紡ぎ出され、物語が人を新たなる深奥に誘うのだ。

かくして、音楽と小説の偉大さが読者に伝わる構造が生まれる。両者の愉悦が同時に体現され、それを体験する時、読者は幸福に包まれる。これは、そんな物語だ。

『めしばな刑事タチバナ』25巻

 継続して読んでますが、感想書くのは久しぶり。今さら言うまでもないけど、「刑事の取り調べが脱線することで始まる食談義」ってフォーマットは完全に崩壊していて、だからこそここまで続き得ているわけだ。薀蓄のクドさは初期に比べて極めてマイルドで、一話一話の組み立て方がキャラ造形とかみ合っている、その職人芸を堪能できる。でもまあ、初期のクドさも懐かしくなるんだけどね。あと、たぶん24巻買い逃してるなってオビを見返して気付いた。

『ソニア・ウェイワードの帰還』

ソニア・ウェイワードの帰還 (論創海外ミステリ)

ソニア・ウェイワードの帰還 (論創海外ミステリ)

 

 知的ではあるが無思慮で無計画な男が、妻の急死を隠そうとしてどんどん窮地に追い込まれていく様を描いた滑稽譚。男の心理や行動があまりに予想の右斜め下過ぎて、読者は常にツッコミ役の立場に回ることになる。周りの登場人物も基本的に俗物だらけで、男と彼らの絡みがイネス一流の皮肉なセンスで彩られることで、笑いと混迷がより深まっていく。作中作的な要素がプロットと乖離することなく組み込まれているのも、作者の技量の冴えを示すものだ。結末は想像しやすいとはいえ、これしかないという形に収まっているため、大いに満足できた。

非シリーズものであるが、自分がイネスという作家に求めていたもの――「現実」から「虚構」への逃避を確実に保証してくれる軽やかさと、ほんの少し入り混じった「虚構」が「現実」の裏返しであることを示す苦み――が存分に横溢している。2008年の『霧と雪』以来途絶えてしまったイネスの邦訳だが、その間の飢えを完全に満たしてくれる結果となった。個人的には間違いなく2017年度マイベストとなる作品だと確信する。

イネスといえば文学的で高踏な、お上品な作家、というイメージがまだ残っているかもしれない。その辺もイネスの本質であることは事実だ。しかし、読者は別にそれらを有り難がって畏まって読む必要はどこにもない。何よりもまず「フザけた小説」であり「軽い読み物」であることを理解しておけば、先に述べた要素は装飾ですらなく、空気のようにそこにあるもの、でしかない。そしておそらく、本書はそうしたイネスの特徴をもっともストレートに理解できる作品のひとつと言えるだろう。

『ラスキン・テラスの亡霊』

ラスキン・テラスの亡霊 (論創海外ミステリ)

ラスキン・テラスの亡霊 (論創海外ミステリ)

 

 一昨年、かのディヴァインを超えるという触れ込みで本邦初訳『リモート・コントロール』が上梓され一躍、翻訳ミステリ愛好家から高い評価を受けた作者の第三長編がこちら。円熟期の前者と比較するとやはり若書きのせいか、プロットがとっ散らかった印象はぬぐえない。しかし「死んだ女がばらまく悪意」により、限定された容疑者と謎を追う探偵役自身の心理が衝突することで、息詰まる様な尋問が連続する辺りは、極めてシリアスかつ重厚な構成である。その先にある真相は実に意外で、「亡霊」の正体に気づいた時に胸に迫るものは大きいだろう。

解決は決して関係者に平穏を生み出すわけではないため、言葉少ななラストの余韻を一層際立たせている。解説で指摘される、系譜として後のジル・マゴーンに連なる、という指摘には納得である。この作品から『リモート・コントロール』までの軌跡で、どのような成長を確認できるのか。中期作品の刊行も決定しているということで、お楽しみはまだまだこれから、といったところか。

以下は余談。解説でディヴァインの名前が今回も頻繁に出されるのだが、これはもうここで終わりにしてほしいなと。作風が似通っており、活躍年代も重なるのは分かる。『リモート・コントロール』の煽り文句が効果的だったのも認めよう。だからこそ、そろそろ単独で評価されてほしい作家だと感じる(むろん解説者には釈迦に説法だと思うが)。