とりあえずかいてみよう

読書とか映画とか音楽のことを書きます。書かない日もあります。でも書こうと思ってます。

「異端」と決めつけられることの恐怖 ジョン・ソール『殉教者聖ペテロの会』

殉教者聖ペテロの会 (1980年) (サンリオSF文庫)

殉教者聖ペテロの会 (1980年) (サンリオSF文庫)

 

再読。 ワシントン州西部のネイルスヴィルという田舎町にひとりの新任教師が訪れた。彼の担当する心理学の授業にはたくさんの生徒が参加し、旧弊な町の教育方針に新風を吹き込む。しかしやがて、そのクラスの少女たちが次々と自殺を図りだしはじめ、周囲の人間から彼の受け持つ授業に不審の念が囁かれはじめ……。。

最終的な恐怖の正体は超自然的なモノというよりむしろ人間の心にあった、という辺りはやや手垢にまみれた筋書きであるようにも思えるが、この結末に至るまでに入念な伏線(というか、精神分析論的なネタ)がしっかりと書き込まれているので説得力は高い。

この作品のもうひとつの骨子は「正統」と「異端」という二つの概念である。特に「異端」という言葉は何度も繰り返し使用されており、この言葉が一神教であるキリスト教世界に生きる人々にとってはとてつもなく忌まわしくネガティヴな言葉なのであろう、ということは容易に想像がつく。「異端」である、と決め付けられるだけでその存在を全否定されてしまう。この恐ろしさはクリスチャンではない自分にすら凄まじく恐ろしいことだと感じられる。

「異端」である、ということはただまわりの人々と少し違うというだけのことなのだが、それが差別を正当化する要素とたりえている。この部分に、同世代の少女たちから仲間はずれにされているひとりの女の子の姿も重ねあわされて、周囲の偏見で自分の存在が否定されてしまうことの恐ろしさを二重に描き切っているといえるだろう。

ラストは相変わらず後味悪く、まるで救いがない。本当にひどい話ですどうもありがとうございました。

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