職業としての、そして権力者としての「政治家」が 、その権力を乱用せずに社会に従事する歯車の一環として誕生する過程を、古代ギリシャと近世イングランドを通じて概略する。
いささか理想論に過ぎるように思える著者の政治家論や、政治システムの完成度では近代以前までのヨーロッパの比ではなかったであろう中国に関する考察がまったく欠けているところなどは問題であると感じる。
一方で現実の諸問題に直面しつつ、それに漸進的に対処していく政治家の姿には、特に現代日本の有権者から見ると実に羨ましくもある。欧州の他のどこの国でもなく英国こそが近現代史をリードし得たその一因は、こうした経験論的な集合知を集約させるお国柄にあったと言えるのであろう。
本論と関係ないところで気になったのは、ウィリアム・セシルが後の19世紀英国で外相・首相を歴任したソールズベリ侯爵*1の先祖に当たるということがまったく触れられていないこと。歴史の流れを感じさせるという意味で漏らしておくべきではない事実だと思うのだが……。