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読書とか映画とか音楽のことを書きます。書かない日もあります。でも書こうと思ってます。

「漢字」を使う言語圏に生まれた幸せ 円満字二郎『政治家はなぜ「粛々」を好むのか』

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政治家はなぜ「粛々」を好むのか―漢字の擬態語あれこれ (新潮選書)

政治家はなぜ「粛々」を好むのか―漢字の擬態語あれこれ (新潮選書)

 

タイトルから連想した内容は、日本語の曖昧表現についての考察、だったが、全く違った。この本で語られるのは、漢字の擬態語。漢字が優れた表現力を持つが 故に、感覚的な擬態語ですら、中国から日本に輸入される過程で様々な現象が生まれたと、著者は説く。

そのままの意味で輸入されるものもあれば、意味の一部 だけが抽出されたものもあり、逆に全く違う用法で採り入れられたものもあれば、日本で作られた言葉もある。漢字を生んだ中国文化の偉大さと、巧みに受容し 自家薬籠中のものとした日本文化の奥深さ。本書を読むと、それがよく理解できる。

本書から面白い実例を(環境依存文字使いますが、ご容赦を)。中国でも日本でも、雨は「䔥々」と降り、風もまた「䔥々」と吹く。そこには「寂しい静けさ」 のイメージが込められている。しかし中国では馬が「䔥々」と鳴くが、日本で馬が「䔥々」と鳴くことはない。

これは、もともと中国では「䔥々」という言葉 は、音そのものが静かな寂しさを醸し出す、というイメージを示す擬態語であったのに、日本に伝わる過程で原発音が失われるのと同時に、意味の中でも「音」 の要素が消えてしまったのだという。そして、「静かな寂しさ」という抽象概念だけが残ったが故に、日本では雨や風は「䔥々」と降ったり吹いても、馬が「䔥々」と鳴くことはないのだという。

他にも様々な言葉が、中国と日本の古典文学を通じて比較検証されている。いずれにしろ、漢字という文字が持つイメージ喚起力の大きさに感嘆するほかない。

タイトルとなっている「粛々」については、最後の最後で、なぜ政治家が好んで使うようになったのかを、頼山陽の「鞭声粛々、夜、河を渡る」という漢詩にまでさかのぼって、その絵解きをしてみせる。こういう言葉を使う国の人間に生まれて良かったと、心から思える一冊。ますます漢字が好きになります。