とりあえずかいてみよう

読書とか映画とか音楽のことを書きます。書かない日もあります。でも書こうと思ってます。

かなり人を選ぶ作家ではあろう 『フラナリー・オコナー全短編 上』

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

 

作者のオコナー(一九二五~一九六四)は、アメリカの女流作家。南部ジョージア州出身で、O・ヘンリー賞を四回受賞した短編の名手、だとか。「残酷なまで の筆力と冷徹な観察眼は、人間の奥底にある醜さと希望を描き出す。キリスト教精神を下敷きに簡潔な文体で書かれたその作品は、鮮烈なイメージとユーモアの まじった独特の世界を作る」というのが、本書の紹介文からの抜粋。

 

「善人はなかなかいない」
家族総出でフロリダへドライブに出かけようとする一家。だがおばあちゃんはテネシーに行きたかった。やがて車は出発するが……。
これはひどい話。クライム・ストーリーっぽい展開だが、カギとなる人物の独白に作者らしさが出ているのだろう、おそらく。理解できないけど、理解を拒絶しているような気もした。

「河」
男の子は、通いの掃除婦に連れられて河に行く。この辺にはめったに来ない説教師が来るらしい。
愛情を注がれない子供の気持ちが、嫌らしい筆致でよく描かれている。子供ってこういうことするよね。ラストは、うわあって感じ。

「生きのこるために」
ミスタ・シフレットがはじめてやってきたのは、老婆と娘がポーチにすわっている時だった。
理不尽な話だなー。後味悪い。

「不意打ちの幸運」
ルビーは買い物を終えて、アパートの玄関をくぐった。これから四階までのぼらなくてはいけない。どうも最近、体の調子がよくないのだが……。
あー、これはすげえ話。たった二〇ページかそこらで、ここまで一人の人間の半生を描いてるのはおみごと。不意打ちの幸運の正体も、非常に象徴的ですなー。

聖霊の宿る宮」
女の子の家に、二人の少女がやってきた。二人は互いのことを、一の宮、二の宮と呼び合っていた。
今までで一番、キリスト教のモチーフが色濃く出てる。そのせいで、非常にとっつきが悪い。最後の、神の啓示は笑う所か?

「人造黒人」
ミスタ・ヘッドは、孫のネルソンを連れて、人生で三度目のアトランタへの訪問を予定していた。この小生意気な孫に、すべてを見せてやらねばならなかった。
インパクトのあるタイトルだが、それそのものが登場する場面や、それが登場した意味がよくわからん。しかしそこに至るまでの展開や、結末は印象的。

 
「火の中の輪」
ミセス・コープの農園に、三人の少年がやってきた。一泊して帰るはずだった彼らは、次の日も農園を去ろうとしなかった。
ホラー風味で、怖い。冒頭と結末の照応も巧みだ。

「旧敵との出会い」
一〇四歳になるサッシュ将軍は、六十二歳の孫サリーと二人で暮らしていた。サリーは、自分の卒業式に祖父を出席させたかった。
なんというエゴイズムだらけのお話。

「田舎の善人」
ミセス・ホープウェルの娘ジョイは、ハルガと名前を変えて母のもとに帰ってきた。大学で受けた教育は、彼女を高慢な性格にしていた。
これまたひどい。タイトルが非常に象徴的だ。
 
「強制追放者」
神父の紹介で、ミセス・マッキンタイアの農園にポーランド人の一行が働き始めることとなった。以前から雇われていた黒人よりも彼らの方が有能で勤勉だったのだが……。
上巻の中だと一番長い話みたい。女手で切り盛りされる農園が舞台、というところや、そこにやってきた訪問者が秩序を乱す、という辺りは「火の中の輪」と似ている。あちらほどホラー風味はないが、描写がドライな分、結末の残酷さはこちらの方が勝るか。

ゼラニウム
ダッドリーは毎日、窓辺にすわって、向かいのアパートの窓際に飾られたゼラニウムを眺めていた。
後悔先に立たず、という話。にしても、ラストはさすがにやり切れない。アパートの階段を上り下りする描写は「不意打ちの幸運」と似てるような。

「床屋」
大学教授のレイバーは、最近通い始めた床屋の店主からこう聞かれた。「次の選挙はどっちに投票します?」
これは笑った。ネトウヨとネトサヨの論争みたいだ。いや、全然論争になってないんだけど、そこも含めて。教授がとにかく哀れ。
 
「オオヤマネコ」
オオヤマネコは、辺りの住民を喰い殺し、恐れられていた。老ガブリエルは、臭いをかぎ取ってネコが近寄ってくるのを悟っていた。
この作家は基本的に、子供と老人とアラフォーくらいの女性に残酷ですな。なんか嫌な思い出でもあったんだろうか。

「収穫」
ミス・ウィラートンはタイプライターに向かっていた。さあ、どんな小説を書こうか。
これはケッサク。作家ワナビー小説ですね。

七面鳥
ララーは森の中で身を潜めていた。目の前の七面鳥を、自分の手で捕らえるのだ。
苦い話だなあ。孤独な子供の気持ちがよくわかってるね、しかし。

「列車」
ヘイズは寝台車に乗っていた。女性客が目の前にやってきて、座った。
なんかよくわかんない話。
 
上から相手を見下ろして与える「善意」の空しさ、がテーマの作風なのかな。そして、それがキリスト教への皮肉にもなっているということか。 印象に残った話は、「不意打ちの幸運」「火の中の輪」「田舎の善人」「ゼラニウム」「床屋」「収穫」かな。やっぱり俺は、ただ後味悪いだけの話よりは、笑 える話の方が好きなんだと思った。「火の中の輪」は、「強制追放者」と置換可能かもしれん。