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とりあえずかいてみよう

読書とか映画とか音楽のことを書きます。書かない日もあります。でも書こうと思ってます。

世界に誇りうる極上の国産ミステリ 横山秀夫『64(ロクヨン) 下』

64(ロクヨン) 下 (文春文庫)

64(ロクヨン) 下 (文春文庫)

 

同時並行で起こる様々な事件を複数の視点で展開する、というタイプの小説は諸作ある。だがこの作品では、すべてが三上の視点で語られる。その上でなお、錯綜した情報を整理しつつ緊張感を持続させ、一気に最後まで読み切らせてしまうのだから、作者の技量には恐れ入る。
物語が締めくくられた後も語り尽されぬことは多い。それは三上の今後歩む人生、そしてD県警という組織の辿る道筋が不透明であることの表れだ。そこに消化不良感を残さぬラストシーンは、そこまでに着実に積み上げられた「人と人」の巧みな描写の賜物であろう。紛うことなき傑作。

タイトルとなっている「ロクヨン」は、当初は物語の背景として語られるに過ぎない。それが徐々に現在の問題と重大なかかわりを見せつつも、何故今さら浮かび上がってくるのかについての見通しが立たない。
読者は三上の置かれた立場に焦燥感を覚えつつ、あるタイミングで、この物語始まって以来のカタルシスを得ることになる。そこで盛り上がったテンションで、再び現れるロクヨンの亡霊により更なる混迷に落とされるのだ。この辺りの呼吸が卓抜すぎて、本当に感心させられる。
 
「7日間しか存在しなかった昭和64年」 そのわずかな期間に遺された数々の悲劇、失態、後悔。それらを生み出した、人と人の関わり。すべての要素が、予想もしない形で読者の前に提示される。「ロクヨン」は、過去と現在を意外な形で結び付ける。
それはひとえに、人の執念の結実であったのだ。巨大な組織と対比しての、人の成し得ることの……。

先の見通しがつかぬ焦りと快感 横山秀夫『64(ロクヨン) 上』

64(ロクヨン) 上 (文春文庫)

64(ロクヨン) 上 (文春文庫)

 

たぶん『クライマーズ・ハイ』以来の横山秀夫読み。今年映画化もされた話題作であるが、評判に違わぬさすがの面白さだ。
D県警で広報官を務める三上の視点で物語は展開する。刑事部と警務部の対立構造、警察内部における広報の立ち位置、マスメディアとの関係性、といった組織が抱える問題・軋轢の部分が、三上という人間の抱える私的な問題と合わさって、読者の興味を惹きつけて離さない。
さらに「ロクヨン」と称されるD県警史上最悪の未解決事件が浮かび上がることで、もとより堅牢な物語の構造がさらに奥行きを増していく。怒涛の勢いで下巻へ。

世界を反転させる衝撃と、後に続く絶望と チャールズ・ウィルフォード『拾った女』

拾った女 (扶桑社文庫)

拾った女 (扶桑社文庫)

 

挫折した男と酒浸りの女の、運命的な出会い。二人の想いは確かに通じ合っていた。しかし悲劇が訪れる。
多くの読者は、そのやるせなさを噛みしめつつ行き着く結末に思いを馳せるだろう。あるいは非生産的な繰り言にいら立ち、途中で投げ出そうとする人もいるかもしれない。
だが、やがて訪れるある瞬間、全てを理解した読者は「そうだったのか」と愕然とするはずだ。極上なミステリのみが持ち得る精緻なプロットと巧妙な伏線により生まれる衝撃。
さらにこの衝撃が爽快感に繋がらず、物語が閉じた後も広がっていく暗黒を感じたとき―あなたは何を思うだろうか?

「平凡と言ってもいい恋物語が中盤の展開で犯罪小説になる。それだけではなく、物語全体を読み通すことによって小説の持つもう一つの意味が理解されるようになる。驚きとともに見えてくるのは決して明るい景色ではない。(~中略~)そして、残るものは絶望しかない。気がつけばそこに暗い淵がぽっかりと開いているのである」
杉江松恋による本書解説より引用

 

牧歌的な雰囲気と堅実な構成 フォルカー・クルプフル『ミルク殺人と憂鬱な夏』

ミルク殺人と憂鬱な夏──中年警部クルフティンガー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ミルク殺人と憂鬱な夏──中年警部クルフティンガー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 作者: フォルカー・クルプフル,ミハイル・コブル,岡本朋子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: 文庫
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ドイツの片田舎、アルゴイ地方の中年警部クルフティンガーは、恐妻家の粗忽者だが、それでも周囲から一目置かれる存在。ある日、この地域では珍しい殺人事件が発生し……。
警部をはじめ妻や部下、近所の人間、事件関係者の描写が巧みで、そのやり取りがいちいち楽しい。牧歌的な田舎暮らしの様子や警部が摘まむ食べ物の描写も、非常に魅力的だ。
本国では映像化もされた人気シリーズとのことだが、シチュエーションコメディ的な要素が強く、確かにドラマ向きな内容であることが分かる。警部が折々でしでかすドジっ子ぶりには激しく萌えざるを得ない。
ミステリとしては、警部の織りなすドタバタ劇で脇道に逸れつつも、重要な手がかりや情報が少しずつ集まりだし、着実に真相に近づいていくという手堅い構成。解決がやや性急なきらいはあるが、真犯人の最後のセリフにはなかなか心を打たれるものがあった。
事件の重要な背景となる酪農産業・酪農文化についても、日本人から見ると新鮮な話が多く、そういった面でも楽しめる。
傑出した面白さはないけれど、ユーモアミステリやご当地ミステリ好きなら読んで損はない内容かと。シリーズ続巻が待ち望まれます。

クセのある一人称を受け入れられるかどうか ブラッドフォード・モロー『古書贋作師』

古書贋作師 (創元推理文庫)

古書贋作師 (創元推理文庫)

 

語り手である「わたし」は、かつては稀覯書の贋作師として知られていたが、今は足を洗っていた。ある日、恋人ミーガンの兄でやはり贋作師のアダムが自宅で両手首を切断された状態で発見された。アダムの死後、「わたし」のもとに文豪の筆跡で脅迫状が届きはじめ……。
設定はなかなか魅惑的なのだが、正統派のミステリでは決してない。饒舌な語りの奔流は「わたし」の俗物性をさらけ出す。これを受け入れられない人も多かろう。解説で三橋暁氏が指摘するように、ミステリの手法や様式を用いつつ人のエゴを暴く一般文芸作品と認識しておきたい。
もちろんミステリとして読んでも、その体裁は整っているのだが、はっきり言うとサスペンス性が皆無で全くハラハラドキドキできないのだ。じゃあ退屈な小説なのかというとそういうわけでもない。語り手の天然ぶりがハマってしまった人は、彼のたどる顛末が気になってニヤニヤしながら読み続けてしまうことだろう。私はそうでした。
結末は、深読みしようとすればいくらでも可能で、ネタバレありでいろいろ語りあいたいタイプの小説。それこそ読書会の課題図書向きかもしれない。
随所にあふれ出る文芸ネタや古書ネタは、ペダンティズムの域を出ていないが、これは意図されたものだろう。饒舌な語りの空虚さを浮き彫りにしている。一方で語り手は重度のシャーロッキアンとして設定されており、そこの熱量はかなりのもの。これも語り手のキャラを上手く表現していると言えるだろうか。
最後に、作者自身がかのオットー・ペンズラーに見出されたという経歴の持ち主であることも付け加えておこう。こう聞くと読んでみたくなる人もいるはずだ。